江戸の火消しが今、いないのではないだろうか
- 匿名
- 名前を隠しているだけでなく、社会的な繋がり、素性を全くしめしていないユーザー
インターネットと「私刑」化する社会
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT11000018012008
この記事にとても共感した。
炎上すれば社会的にもインターネット的にも死刑宣告されたようなものだ。
これは、前に自分が日記で書いたことでもあるがびくびくしながら毎日過ごさなければ行けない生活の中で果たして冒険的な何かはうまれるのだろうか。
逃げ場が無い
この記事の中にこういうことが書いてあった。
センセーショナルで、刺激を求めるのも人の一面なのだと言ってしまえばそれまでだ。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたがウェブ炎上に火消しはいない。ネットとマスメディアが共振しているなら逃げ場もない。誰もがメディアを持ってしまった以上、あらゆる正義がぶつかり合う。「私刑」はなくならないだろうが、これが人々が望んだ「ウェブ社会」なのだろうか。
喧嘩はお互いの正義のために行われるのもだ。炎上もそう。正義を主張して悪をこらしめるのだ。
だが、時にそれは間違っているときもあるだろう。それなのに1対多数で正義を振りかざされたらもう勝ち目は無い。
火消しの重要性
どこかの本で読んだことがあるが、江戸時代の消火方法は町の住民による人海戦術であったはずだ。また、もし喧嘩があれば間違っていると思う方を強い人が止めていたときもあったのだろう。ここにはソーシャル的な強さを兼ね備えていたからこそ仲裁人という役割も出来たのだろう。
だが、ネットでは基本的に文字だけでのコミュニケーションであり、非同期的なコミュニケーションが一般的だ。また、匿名と実名が入り交じった世界であるためソーシャル的な規範や共通意識、文化というものがインターネット全体的には形成されない。
匿名性と実名制
匿名と実名という両方の存在はお互いにあるべきだろう。昔から匿名的なコミュニケーションは色々あったと思う。だが、匿名上の世界で起こっていること実名制の世界で起こっていることを混ぜてしまうから炎上が起こってしまうのだろう。ケンタッキーの事件を見ても、mixi→2chというながれが決まりつつある。
私刑化する社会にならないために
実名制コミュニティーやサービスで行動するときは匿名性のユーザーは身分も分からないとても不気味な存在だ。だって、その中には家に侵入して勝手にモノ(日記の内容、コメント、画像)を取っていってしまう者もいるのだ。それを頭にいれ、鍵をしっかり閉める(日記の公開範囲の設定)ことだったり、金目のものはそこらへんに出しっぱにしないことだろう。あいては集団でくるのだから。
コミュニティーには警察を
ほぼ実名制でやっているようなコミュニティにいる匿名ユーザーというのは不審者でしかない。この不審者を取り締まるルールやシステムというものは必要になるのではないだろうか。