ゴキブリも牛丼もみんなで叩けば怖くない。だって誰も見てないもん。〜過剰流動性の高い社会~

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071203-00000053-zdn_n-sci

こういうの見てると悲しいな。
まるで日常生活がエンターテイメントじゃないか。
やるほうもやるほうだが、1回のミスでどん底に落ちる社会ってどんだけだよ。

まぁそんなことで関係のありそうな話を。

過剰流動性とは

金融用語。最近社会学で使われるようになってきた。
交換可能性を前提とした社会の仕組みのことを指すらしい。

交換可能性っていうのは

  • 彼氏はとっかえひっかえ出来る
  • 社会経済がコロコロ人材の変わるアルバイトやパートで成り立たせている

とかいう、今の社会に取っては好都合の仕組みである。

高いとどうなの?

近代社会後期の過剰流動性は、人口移動とは異なると考えられる。流動はしているが、質的なステップアップや進化があるわけではなく、一つの閉じられた空間で永遠回帰あるいは輪廻しているイメージに近い。むしろ質的には何も変化しておらず、進歩がない流動性である。戦後昭和初期では、働けば働くほど、豊かな生活を獲得できるという目標があり、進化することができた。ところが、近代社会後期の過剰流動性においては、努力しても、その輪廻の輪から解脱することはできない、働いても金が貯まらない。ワーキングプアがそれである。
http://mercamun.exblog.jp/6759084/

自分の身の回りの人、物、情報というものがコロコロと変わるということは安定出来る空間がないのと一緒である。

車の運転でよく心がけるのは「時間の余裕と心の余裕」と言われる。
たぶん今の世の中は30トントラックが片側1車線の一般道を140キロぐらいでびゅんびゅん走ってる中、初心者マークをつけた軽自動車で道を走ってるもんだ。

一歩間違えれば死亡(社会の底辺)、さらに追い越せない(チャレンジ)社会

そんな社会にいる人はどのような振る舞いをするだろうか。
悲しいけどたぶん、正直現状維持で精一杯だろう。
それは人間的なネットワークのせいもあるが、社会の輪廻から振り落とされるのが怖いのだ。(そんな社会クソクラエだけど
怖さというのはどこから来ているのかというと社会からそのポジションにいることのデザインである。

社会からはみ出ることをおびえる人間。
ジャングルで天敵から身を守ろうとする動物。

なりふりかまわず性交をする動物。
頻繁に結婚、離婚、再婚を繰り返す人間。

正直ほとんどかわらないのではないか?

だから「動物化」するポストモダンなんて本が出てるのだ。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

まとめ

過剰流動性を落とせるような仕組みが必要。
人間が人ではなくヒトになってしまう前に。